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2007年02月17日
intelligenceとwisdom
原稿の締めきりに追われている身なのに書いている。
Lineformというツールを手に入れたので、そのテストついでに。 。と言い訳をする。
(Ja)賢くなる価値はあるの?
(En)Is It Worth Being Wise?
この長い議論を、図を使いつつ補強したい。
まず、生き残りのためには複数の課題に対応する必要がある。(前提1)
本文の、intelligent=頭がよい, wise=賢い という定義は、
右軸を問題ID、縦軸をその課題への対応精度だとしてグラフにするとこうなる。

人によって合計面積は異なるが、基本的には
「一般的な合計面積をもつ人がどう行動していくべきか」という話なので、
面積の合計が同じだとして話を進めて良い。
ポール・グレアムの文では、およそ以下のことを言っている。
- intelligenceを実現するための方法とwisdomを実現するための方法は、異なる
- それらは両立しない可能性が高い(面積一定)
- 2種類の方法論を間違って使わないように気をつけろ
- intelligentな方の生き方は不満がたまりやすい
- 「intelligentな方の生き方は不満がたまりやすい」ことを認めたら、楽になれるかも。
彼はintelligentな人がたくさんいる会社を経営したり投資したりする必要があるので
こういう文章を書いているのだろう。
しかし、「不満が多いのは認めろ」と言い放つのはあんまりだ。
さらに理解を深めることはできないだろうか?
私ならば、以下のように続ける。
私は、intelligentな方の生き方が不満につながりやすいことには、
構造的な原因があるとかんがえる。
課題が10種類あり、そのうち1種類の問題に関してintelligentである人がいるとする。

現代は、左側の状態から、右側の状態に移行することが、
「良いことである」と考える時代なのだ。
他の課題すべてについて、我慢ができなくなる限界ぎりぎりまで下げ、
ひとつの能力だけを伸ばそうとする。
だから、かならず、最後には「不満で一杯」という状態になってしまうのだ。
では、なぜ現代では、それが「良いこと」だと考えるのだろうか。
それは、他人の能力を発見し、利用するための市場が発展したからだ。
まずintelligentな人が二人いて、うまく市場を使うことができれば、
more intelligentになる。

intelligentな人がたくさんいたら、"superwise"と呼べるようなものに近づいていく。

誰しもがsuperwiseになりたいと望んでいる。
市場は、極めてintelligentな人を集めて、superwiseを作り出す方法なのだ。
では、なぜsuperwiseを作り出したいのだろうか。
ここから先は生命の定義に関する話となり、横道にそれてしまうので、割愛する。
以上をまとめるならば、
1 限界ぎりぎりの不満をかかえたまま極度にintelligentになる方向
2 比較的少ない不満をかかえながら、幅広くwiseになる方向
のどちらにするかを選択する必要があるのだが、
自分が生きていく範囲において、市場をうまく利用できそうな分野であると考えるならば1を、
市場をうまく利用できそうにないと考えるなら2を選択すべき、となるのだろう。
たとえば、日本で30歳まで生きた人と、米国で30歳まで生きた人とでは、
ちがう考え方をすべきなのかもしれない。
ちなみに私自身の考えは、
いまの段階では市場はそこまで高度化していないので、
2をスタート地点としながら、市場自体を活性化させる仕事をし、
1に近づいていくというやりかたを選択したい。
あと100年の間にワールド・ワイド・マインドが実現され、
人類の心は一つになるので、上記の議論にはほとんど意味がなくなるのかもしれないが!
Posted by ringo : 2007年02月17日 12:30
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