「ゲーム」の価値とモンテッソリ教育
フィードを読んでいたら、久々に、ゲームの面白さについての長い文章を見た。
「ゲーム」と「面白さ」について定義せずに、
役立つ何かを見つけるのはむずかしいかもしれない。
CEDECのゲームデザインのセッションなど、たまに、定義を気にしている論考もあるが、
定義をせずに話しをするのが半分ぐらいあるし、
同語反復的でない、使える定義を用いている事は非常にまれだ。
Raph koster氏のゲームデザイン本は、
脳や神経、心理に関する学問の結果をできる限り使って、
同語反復にならないように最大限努力しているが、
このような本は日本だけでなく世界的にもかなりまれだ。
しかし、私が仕事をするなかで出会う、最前線でゲームを作っている開発者たちは、
みな自分なりのゲームの定義を持っていて、知識の蓄積を続けている。
私は一緒に作業をしたことはないが、たとえば、最近、遠藤雅伸氏が
インタビューでゲームの本質について語っている。
いわく、「インタラクティブな要素があって満足感が得られるもの」
この定義はかなり広めだ。恋愛や仕事まで含まれてしまう。
商売の都合上「前記かつ、半自動的に売上をあげられるシステム」
などといった暗黙の定義の上で仕事をしているのだろうけれども。
彼は、長年にわたり、極めて多くの挑戦をし続け、
多数の成功も重ねてきた人なので、ものすごく広い定義でも、違和感を感じない。
世の中全体を面白くしてしまう勢いで、今後も仕事をされていくに違いない。
さて私も、ゲームと呼ばれているものの開発に関わる身だ。
これまで、自分が作り出したいと思っているものを、
遊んでいるうちに賢くなってしまうようなソフトウェアだとか
人間の創造性を引き出すシステムだと表現してきた。
これらの要素が、遠藤氏を含め、みんなが「ゲームだ」と思っている何かと
共通している部分があるので、私は、ゲーム開発に関わっていると言って差し支えない。
(「ゲームを作りたい」と言ってしまうと、ひどくずれてしまうのだが。)
自分はまだ、遠藤氏ほど大量の試行をやりとげたわけではないので、
このレベルの表現よりも、あともう1段階具体化しないと、
仕事のステップを踏みにくいなあ、と感じていたのだ。
最近、その方法を発見できた。前置きが長かったが、それが今日の話である。
私は、4歳〜5歳のころ、モンテッソリ教育法を実践する幼稚園に通っていた。
モンテッソリ教育理論とは、モンテッソリ博士が戦前に、
発達障害の子供を観察していて発見した理論で、極端に簡単にいえば、
「ある条件を満たした単純作業に没頭すればするほど、
子供の知能が飛躍的に早く発達する」というものだ。
のちの研究で発達障害のないこどもにも発達加速の効果が大きいことが判明した。
「ある条件」とは、
・触感、音、色など、五感が刺激される作業であること。
・子供が持ちやすい、操作しやすいこと。
・どんな操作をするかは自分で完全に選択できること。
・1回、操作をするごとに進捗が把握できること。
・終わりがある(わかりやすい)こと。あるいは、小さな終わりの単位があること。
・失敗が起きること。
・失敗を自分で直せること。(やり直しができること)
・いろんな方法で試せること。
・意図は一つに絞ること。
・何百回、何千回と試せること。
・何十分も没頭できること。
・他にもあったはず
これらを実現するための道具を、モンテッソリ理論では「教具」と言う。
教具のデザイン目標は、子供が長時間集中し、
没頭できる繰り返し作業を可能にすることだ。
上記は私がこれまで調査して収集したそのための条件だ。
モンテッソリ理論を実践する幼稚園では、園児が登園した後、
これらの教具を使って、園児が作業に没頭する時間が、
午前と午後に2時間づつぐらい、用意されている。
この時間は「お仕事」の時間と呼ばれる。
普通の幼稚園であれば、みんな、「お遊戯」をするのだが、
モンテッソリ幼稚園では、みんなは「お仕事」をするのだ。
お仕事は、一人で、黙々と、やる。普通の幼稚園であれば、
みんなで輪になって遊ぶとかだが、教具を使うお仕事は、
一人で、1時間以上、ひたすら作業に没頭する。一つの作業が
自分の中で完璧に近づいたら、ほかのお仕事をする。
競争などのコミュニケーションはほとんどしない。
幼稚園の棚には、何十、おそらく100以上の教具があるので、お仕事のネタは尽きない。
みんなの「お仕事」のための教具は、具体的にはこんなのだ:
家庭で簡単にできるモンテッソーリ(1)
モンテッソーリ教師による教具紹介
上の条件が巧みに満たされていることがわかるだろうか。
教具には、子供を単純作業に没頭させるために細部まで工夫がこらされている。
五感を刺激する単純作業において、作業の最適化を、自分が満足するまで没頭してする。
これまでに1000以上の教具が発明され、日々、新しい教具が作られ続けている。
教具の作り方や、教具が使われた結果の観察には、極めて細かな、
多数の洞察が含まれているのだ。モンテッソーリ関連の書籍には、
それらが書かれているのだが、webで検索してもテキストは見つからなかった。
ただ、先の教具の紹介からでもその片鱗を見ることができる。
「円柱が穴にピッタリはまる感じ」とか、重要な感覚の部分が言語化されているのだ。
モンテッソリ教育には、教具を使うだけでなく、自然を体験したり、
お話をしたり、プールで運動したり、といった要素ももちろんあるが、
私自身が記憶している限りでは、単純作業に没頭している時間の記憶が
今でも極めて鮮烈である。今でも紙をめくる感触が思い出されるほどだ。
私の場合は、紙に1づつインクリメントしながら数字を書いて、
20進むごとに紙をノリでつないで丸めていくという「連続数字」
というお仕事を非常に気に入っていた。10万の桁までやったら、
先生が「幼稚園の新記録!」と言っていたのを覚えている。
私は、早く10万まで到達したいので、幼稚園の他の園児にも協力を依頼して、
流れ作業のラインを作って4人ぐらいで「ノリをつける人」「数字を書く人」
「紙を切る人」といった具合に分業体制を作って作業を加速した。
そのときは4人とも、作業に没頭して興奮していた。
こどもが何時間も作業効率の最適化のために没頭し続ける。
これによって脳におけるドーパミン報酬系が作動し、
新しいシナプスが急速に増え、こどもの知能が急速に発達する。
ここまでが実験や教育の結果でわかっている。
私は、モンテッソリ教育理論の教具の設計指針には、
「遊んでいるうちに賢くなってしまうようなソフトウェア」や
「人間の創造性を引き出すシステム」を定義し、
実現していくための大きなヒントがあると思う。
それがたとえ成人用でもだ。私には、子供を没頭させるしくみは、
ほとんどの成人にも適用できるように思える。
もし、成人でも、作業に没頭することで知能が発達するのならば、
それは「遊んでいるうちに賢くなってしまう」という価値そのものだ。
没頭させるビデオゲームに何の価値があるのか、という事にも答えられるようになる。
教具の設計を参考にして、いまあるソフトウェアの価値を増やせるようになる。
たとえばgumonjiであれば、「進捗が毎回確実にわかる」とか
「意図は一つに絞ること」「終わりがわかりやすい、あるいは単位がある」
などがとても弱かった。このあたりを強化すれば改善ができそうだ。
でも、教具は物理的なものを使って作られている。
計算機を使ってでも実現ができるのだろうか。
教具を使う作業では、紙や糸、針、糊、はさみ、鉛筆、砂、粘土、
金属の輪など、さまざまな、豊かな身体感覚をともなう道具を使う。
計算機が相手の場合でも、手の感覚と、視覚、聴覚を使うことができる。
もちろん、視覚は立体感覚がとぼしいし、聴覚も、限定的かもしれない。
しかし、モンテッソリの理論でも、「ある条件」に
特定の入出力デバイスを要求していないし、
実際にデバイスは何でもいい可能性が高いと思う。
と思ってちょっと調べたら、結構ポジティブな研究があった。
Computer-Based Learning and Montessorian Manipulatives
"computer based montessori manipulatives"で深掘りするとわんさか出てくる。
ACMでちょっと見てみたら山ほど出てきた。tangible computingや
smalltalkやmindstormsの論文なども次々にひっかかってくる。
モンテッソリはじめ、巨人達の仕事をうまく消化して、
次の挑戦に活かしていきたいところだ。












古い記事ですが、思った事をコメントします。
前から、Wiiを教育に使えないかと思っていました。Wii Musicなんて、ここであげられている条件をそこそこ満たせるんじゃないでしょうか。そういう視点から見て、もっとWiiやそのリモコンを活用する仕組みがあってもいいと思っています。