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2006年06月06日

「私」の範囲

どこまでが私で、どこからが私でないのか?
どこまでが私たちで、どこからが私たちでないのか?
いつまでが私で、いつからが私でないのか?
私とはいつのことか?
私たちとはどこのことか?
時間や場所や物事の順番と私は、からみあっているのか?

意識とは何かという、とんでもなくむずかしい問題に取り組もうとしているのではない。
日頃の私たちの生活にある問題を解決するために必要で、
細胞膜を構成している脂質のように絶妙に機能する、
「私」とそれ以外、「私たち」とそれ以外との間にある膜を、
情報技術によって作ることができないか、いつも考えているのだ。
しかし、なかなか筋道だった考えに至らない。 今日も歩きながらそのことを考えていた。

それで、去年、神々の沈黙という、人間の意識について述べた本の
内容を思い出した。大著である。

この本で、著者は8000年前から現在までの文字に書かれたものを徹底的に分析し、
神経学、生理学、などの知識をフル活用して、
人間の自意識の変遷について独自の考えを述べている。

まず8000年前に書かれた文章を読み解いていくと、
「牛が2頭いる」「太陽がのぼった後に雨がふった」というような、
即物的な記述しか見当たらないという。

次に4500年前ごろの文章を読み解いていくと、
「神が収穫しろと言った。」「天が言うとおり殺した。」
というように神が登場する。

そして3000年前ごろにいたると、
「私が牛を見つけた。」「私が王に贈り物をした。」というように、
「私」が登場するのだという。

著者は、人間の意識(自分が自分であることの感覚)は、
4500年前〜3000年前の間の期間に、地中海周辺の地域で、
言語の使用が高度化していくにつれて自然に発明された
「技術」あるいは「有効な考え方」であって、
人間が生まれつき持っているものではない、と主張している。
たとえば、紀元前10世紀前後の世界では、
自意識をもつことに成功している国と、そうでない国の両方が混在していて、
自意識をもつ方の国の軍隊が圧倒的な強さを見せていて、
巨大な覇権国家を築くことに成功したと言う。
自意識を持つ方の国の軍隊が強い理由は、おそらく、
戦争では、自分が敵からどのように見えているか、
相対的に考える能力があるほうが断然強いということがあったからだろう。

著者はさらに、自意識の発明と流行は、瞬間的にではなく、
だんだんと進んだと言っている。つまり、人間の心の構成要素が、
神100%の状態から、自意識100%の状態に瞬間的にステップしたのではなく、
神50%:自意識50%というような状態を経て、
段階的に進歩したのではないかと言う。
両方の心がまじりあっている状態を「二分心」と命名し、著者は、
二分心が消えて、自意識100%の状態になってしまったのが現代だと述べる。

これはこれで十分面白い仮説だが、私はこの続きがあるのではないかと考える。
試しにこの仮説が正しいとして考えを進めてみると面白いのである。

まず、現代においても、「自意識をもつ」という技術が
完全には普及していないとしたらどうだろうか。
自意識という技術が地中海沿岸で発明されてからまだ3000年しかたっていない。
文字が発明されてから8000年以上たつのに、まだ識字率は100%になっていない。
人間が生まれ持っていない技術は、社会の支えがないと、当然、完全には普及しないのである。
自意識を持っているとは言えないような人も多いし、
自意識を強く持っている人が、より強いコミュニケーションスキルを持ち、
より多くの資源を入手している確率が高いことなどを挙げることもできるだろう。

もし、自意識が、生き残るための技術のひとつだとしたら、それは幼いときにある特定の教育を
受けることによって習得されるのではないだろうか。もしそうだとすると、
おそらくそれは、母親が子供に母親と異なる名前をつけて呼ぶということによってなされるのではないか。
もし、家族全員に同じ名前をつけて、全員が同じ名前で呼び合ったら、
どのような子供になるのだろうか? そのような実験は行われているのだろうか。

また、大人になってから、自分の名前を使わなくすると何がおこるのだろうか。
明日から、会社のスタッフ全員が、同じ名前で、
たとえば、全員が「ほげさん」という名前で呼び合ったら、
何がおこるのだろうか。とても恐ろしいことが起こる気もするし、何も起こらないかもしれない。

もし社員全員のメールアドレスを全部同じにし、
全部のメールを全員に同報したら、何が起きるのだろうか。
そうしたら何が失われ、何を得るのだろうか。

情報技術が進歩したら、 神→自意識→?? の??にあたる何かを発明することができるのではないか。
通信アーキテクチャの歴史においては、サーバー集中型、ピア分散型、ハイブリッド型
という歴史上の振動があるが、それを適用するならば、

神:サーバー集中型:都市人口1万人まで
自意識:ピア分散型:都市人口1000万人まで
??:ハイブリッド型:都市人口10億人まで

というような進化の形態があり得るのではないか。
ひとつの都市に10億人が同時に住むためには、??の発明が必要なのではないか。

??を生み出すことができるかもしれない基本技術は、
人間が身につけ、多人数とリアルタイムな通信をし続けることができる物理デバイスかもしれないし、
あるいは、都市において徹底的にプライバシーを捨てていった先にある何かかもしれない。
はたまた、視覚をコンピューターによって大幅に強化するだけで実現されるのかもしれない。

ネットがもたらす匿名性と、一人の人間が複数のアイデンティティをもつことは、
おそらく関係が深いだろう。幼いときからそういった匿名/複数人格の誰かと多くつきあうことは、
おそらく変化の地盤になるだろう。

いずれにせよ、web2.0のずっと先の、さらにもっと先のことだが、
それでもweb2.0とは関係しあっているはずだ。
そしてそれは100年先ではなく、意外と50年ぐらいかもしれない。

??をあらわす日本語を無理やり考えてみるならば、「網意識」あるいは「網心」
というようなものなのだろうか。。

今度の飲み会でこの話を持ち出してみよう。

Posted by ringo : 14:10 | TrackBack