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2006年11月30日

未来館でのレクチャーその1

来年の1月20日に、未来館でのレクチャーを担当することになった。
レクチャーのタイトルが「サバイバルトーク」になっているが、
これは、まぎらわしい。実際には、「決死のトーク」をするのではなく、
「地球において人類が生き延びる方法についてのトーク」をするという意味だ。

これからレクチャーの内容を決める必要があるのだが、
私の担当が「コミュニケーション編」で、さらにテーマが「地球でのサバイバル」なので、
大筋は、情報通信技術をいかに使うかという話しになるだろう。

さて、「いかにサバイバルするか」を考えたいのならば、
「何のためにサバイバルするのか?」という疑問についても考えておく必要がある。
「何のために?」によって、「いかに?」が決まるからである。
だから、このことにまず最初にふれておかないと、
何のためにサバイバルトークをしてるのかがわからなくなってしまう。
「何のために」を抜きにして、環境問題や国際問題を「いかに解決するか」を
議論している場面をよく見かけるが、ナンセンスである。

「何のために」だけでも、何時間でも話すことがあるだろう。
でも、話す時間は40分しかないので、まずは「私は何のためにサバイバルしたいのか」
を紹介して、そのために「私はどうしたらいいと思っているか」を話すことになる。
たった一人の意見でも、少しは参考になるだろう。だから呼ばれたのだと思いたい。

「私は、去年、31歳にして、自分が何のために生きているのか、
急に30%ぐらいわかりました。それまでは、ほとんどわかっていませんでしたし、
学生時代には、まったくわかっていませんでした。
これから理解が進むかもしれませんが、
死ぬまでに100%わかるときは来ないかもしれません。
脳科学者の茂木健一郎さんは、
「脳のパフォーマンスを最大に発揮させるには1000年間学習を続ける必要がある」
と言っています。私の脳が機能しはじめたのは31年前なので、
完璧にわかるには、あと970年もかかるかもしれません。
しかし私の脳は、あと40年ぐらいしか持たないでしょう。
いまのところ私は、自分が作ったシステムが、
予想外の変化と成長を、美しく遂げることを、この目で確認するために、
生きています。自分が作った、変化する美しいシステムというのは、
たとえば、ソフトウェアかもしれないし、会社かもしれないし、
自分の子供かもしれません。とにかく、
美しいシステムが変化していくところを見たいのです。
そしてそれは、まだ1%も達成できていません。
のこり99%をやるために、まだまだ健康に生き続ける必要があるし、
もしかすると、孫の代までかかるかもしれません。
そのためには、私は地球環境が50年後に汚染され尽くしている
というような事態は避ける必要があると考えているのです。
だから、私は、地球上で、自分やその子孫が持続していく
具体的な方法について、興味があるのです。」

私は、自分が他の人よりも詳しいと自負できることは、
計算機の利用方法ぐらいしかないと考えているので、
いかにしてやるか、というのは以下のようなものに、自然となるのだろう。

- 地球には資源が極めて豊富にある。
- いまいる人数を養うには十分で、もっと多くの人数を養うことも可能である。
- しかし資源の配分が下手くそすぎて、それができてない。
- 人間同士あるいは機械同士のコミュニケーションのありかたを工夫すれば美しく解決できる。
- 実際にあれやこれやそれやの方法が考えられ、実際に動いている。
- コミュニケーションのありかたを改善する科学は、情報科学である。
- 情報科学に関する仕事が、まだまだもっと必要とされている。
- では、日本人である私たちは、具体的には何をしたらいいか?
- 日本では数学的な理論や、抽象的なものの扱いの歴史が短く、欧米諸国にはなかなか勝てない。
- しかし日本には四季もあるし、景色や食べ物の種類も多い。
- また、中国や近隣諸国に征服されたこともないので、ひとつの文化が極めて長く続いている。
- そういう状態なので、人は、自然や人間を観察する豊富な視点と、統一された美意識・感性を持っている。
- そこでまず日本は、純粋理論の方面ではなく、機械と人間、機械と自然の境界面など、
理論化しにくいけれども自然の微妙な表情を観察するのが必要な部分を研究していくのが良い。
- 私はたとえばあれやこれやの分野が面白いと考えている。
- また幸いにして、第二次大戦後、日本では工業生産技術の高度な進歩があった。これは使える。
- そういった方面に進むにはあれやこれやの入り口があるので参考にしてほしい。
- 以上は、私が、日本に生きる人におすすめしたい、サバイバル方法である。


個人的な信念が多分に盛り込まれた、偏った内容になるだろう。
しかしそれでいいのである。
続きは、また今度。

Posted by ringo : 00:03 | TrackBack